いにしえを訪ねて、歴史を知る。

約7000年もの昔、古東京湾がこの町近くまで入りこんでいた事実を、貝塚の分布でしった。水の文化息づく歴史の「あかし」が、時の流れにロマンを馳せる。いにしえのタイムマシーン、歴史的スポット。

八幡宮稲荷神社社殿(雷電神社末社・国重)

全国でも珍しい二間社(柱問が二つ)、入母屋造り、銅板桧皮葺の社殿。向かって右側にハ幡宮、左側に稲荷神社を祀る。裏鬼門(西南隅の未申)の海老虹梁下部には、鬼門除けとして錫杖彫の和鋏が相対している。創建不詳。天文16年(1547)佐貫庄の赤井氏旗下、飯野城主篠崎三河守により建立。

雷電神社本殿彫刻(県重)

電神社本殿背面周囲に石原常八主信作の華麗な彫刻がある。
本殿東側に「浦島太郎」の物語が、右側には「素美鳴尊の大蛇退治」が。また、縁下脇間には「唐子遊び」が刻まれ、特に唐子遊びの 内に鰻取りがあるのは池沼の多い当地方の信仰から生まれたものと思われる。

宝福寺/木造性信上人坐像(県重)

性信上人坐像は像高84.5cm肩幅40cm、鎌倉時代中期の作品で宝福寺所蔵。性信上人は親鸞聖人の弟子24華中の第一高弟といわれる。親鸞が越後(新潟)から常陸(茨城)へ向かう途中、関東布教のため健保2(1214)年佐貫庄に滞在し浄土真宗の悟りを開いたとされる。

安勝寺/梵鐘(国重美)

梵鐘は宝暦4年(1754)、佐野の大河太郎兵衛、崎山五左衛門の作。光明真言と文様が描かれ、特に仏具文様は見事な美しさで、第2次世界大戦中の供出を古美術保存法により免れた。総高137cm、幅76cm。

揚 舟

揚舟はかつて家の軒か、納屋のオロシの梁に太い麻縄で吊り下げられ、水害時に住民、家畜、穀物等を水塚へ運んだり、水中の稲を船刈りするのに利用されていた。

水 塚

町の水郷文化を象徴する水塚は、水害から生命や財産を守るために屋敷の庭より3~5mの土盛りをした建物の総称。水塚の1階には米・麦・味噌・しよう油など食料の保管場所とし、2階は居住空開とした。